「眼」を持ったクルマがいまできることは
日本で「自動停止まで」が急に増えている事情
最初に「自動停止まで可能な衝突軽減ブレーキ」が、ここへ来て次々と日本市場に導入されている事情について、簡単に説明しておこう。知っている人は知っている話、だが。 これは基本的に国土交通省の判断(公式には指針、と書いたほうがいいのだろうが)による。つまりこれまでは「技術的に可能」でも、市販車に装着することは「好ましくない」とされてきたのだ。 しかしこうした技術、前方を「機械の眼」で監視し、車間距離を判定し、それが詰まりつつ相対速度差が急激に大きくなってきたら「衝突時の被害を軽減する」べく、車両システム側が介入してブレーキをかける、という技術そのものは、'90年代に入る頃から当時の運輸省が主導した「先進安全車(ASV:Advanced Safety Vehicle)」プロジェクトの中で、主要なアイテムのひとつとしてずっと手がけられてきたもの。 それ以前、アメリカ主導で進められていたASVプロジェクトは、とくにパッシブ・セーフティ(受動的安全性)に関して今日の定番となる技術体系を確立した。その流れに乗りつつ、しかし日本が世界をリードするような「新技術」は何か、というテーマで官僚が各メーカーに ヒアリングを行い、技術シナリオを描いたのが「日本版ASV」だった。一応、今も「第4期」が進行中だが。 この日本版ASVの最大の“売り”とした「テクノロジー満載型運転支援」においてすでに「自動介入ブレーキ」は「衝突軽減」であって「完全に停止するところまで」の自動制御は行なわない、というのが指針となっていた。その理由は「運転者に過信を与えない」、つまりドライバーが「何かあればクルマが勝手に止まってくれるから、自分はテキトーに運転していればいい…」という意識を持つようになるのはまずい。だから「最後まで面倒を見てくれる」システムにはしない。これが日本の行政側が考えた枠組みだった。 その結果、実車に搭載したシステムで「完全停止」まではできる、という状況にあったにも関わらず、日本ではそこまでは行かない、つまり最後にドライバーがブレーキペダルを踏まないとクルマは停止しない、という制御が実装されていた(いる)のである。
自動停止では欧州勢が先行。彼我の土壌差
そうこうしている間に欧米の自動車メーカーは完全停止までシステムが介入・実施するアダプティブ・ブレーキ・システムを市場に投入するようになっていた。しかし例えばダイムラー/メルセデス・ベンツにしても、日本に導入しようという動きは見せていなかった。国土交通省と折衝はしたはずであって、その段階で認証を受けるのは困難、と判断したものと推測される。 この状況が変わったのは、ボルボが2009年8月に発売したXC60に「City Safety」を「全モデル標準装備」したところから。ボルボ側は国土交通省に対してスウェーデン本社への招聘も含めて多くの情報やデータの提供、そして折衝を行い、日本市場導入にこぎつけたと聞く。 その時も国土交通省側は「ドライバーが『自動停止』に依存してしまうことがないように」という条件を示し、これに対してボルボは「停止に至る最後のブレーキングはギクシャクとして不快感を与えるものだから、それに任そうとは思わない」ということで対応している。 基本的に欧米の自動車開発者とそれを受け入れる社会の考え方は「もうダメか」という最後の瞬間に、その衝突のダメージ、とくに人間の死傷の可能性を軽減できることが何よりも重要、というものであって、ドライバーが自らクルマを操っていることが全ての前提。「このクルマは何かあったら止まってくれるから大丈夫」と怠惰に運転して、クルマまかせにしてしまう(のでは?)、という視点には立たない。 しかし日本では、ドライバーからして「自動でやってくれるなら…」と機械まかせにしたがるドライバーが増殖するのはたしかだ。私自身、ESC導入初期、自動車社会を支援する立場にあるはずの方が、氷雪路でまったくスピードをコントロールせずにコーナーに入り、そのまま雪壁に、まさに突き刺さった後で「おかしいなぁ、何にもしないじゃないか」と言い放った、その横に乗っていた経験がある。 自動運転とドライビング支援は、表面的には同じ機能のように見えて、じつはその立脚点からして全く異なる。日本人はそれをごちゃ混ぜにして、とかく自動化すれば何でもよくなる、楽だ、と考えてしまう傾向が強い。それはユーザーだけでなく、開発者の側も。人間が操って走るクルマとしては不適切な制御、ロジックで「運転支援システム」を作り、実装している例が何とも多いのである。

